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2007/11/27

前九年の戦い・第五話

歴史上の戦いシリーズ第四弾、前九年の戦い第五話、最終話です。
第一話は戦いに至る経緯
第二話は前九年の戦いの序盤
第三話は前九年の戦いの中盤
第四話は前九年の戦いの終盤
について述べました。今回はちょいと後日談を。

後日談と言ってもですね、あんまり詳しく書いちゃうと、いずれここで書くつもりの後三年の戦いのネタバレになってしまうので、当たり障りのない程度に。

Zen9nen

まずは源氏ですが、頼義は陸奥守の再任を望んでいたものの伊予守にされ、不満を抱えながら亡くなったようです。息子の義家はのちに後三年の戦いで活躍し、「武門の棟梁」という存在になるんですが、彼もまた決して恵まれた人生でもなかったようです。

2人とも晩年は不遇に近かったんですが、それは、前九年・後三年の戦いにおける2人の活躍によって、武士という存在が重きをなすようになり、彼らにあまり権力を持たせないよう、朝廷が画策した部分があるみたいなんですな。どちらの戦いにおいても朝廷がロクに援軍を送らず、頼義・義家たち自らが兵を集めなければいけなかったは、そういう理由によるものです。

ただし、そういったことは朝廷の扱いの問題であって、東国を中心とした武士団からは絶対的な存在に近い尊崇の念を受けたようです。のちのち源頼朝が挙兵した時に、関東の武士団が続々と従いましたが、これは、「義家の子孫である源氏こそ武門の棟梁たるべき血筋であり、自分達はそれに従うべき血筋である」という意識を代々育み続けてきたのが大きな要因だったんです。

続いて安倍一族。当主の貞任は戦死しましたが、貞任の弟宗任は一旦逃亡したのちに投降。京都で公卿の前に引き出された時に、公卿たちが梅の花を見せて、「蝦夷の国ではこの花のことを何て言うんだ?。そもそもこんな花は見たことないか?」と宗任をからかいました。これに対し宗任は、「わが国の梅の花とは見たれども、大宮人はいかが言ふらん」と歌で答え、公卿たちを驚かせました。

蝦夷だ俘囚だと蔑視されていた彼らですが、それは中央の人間が地方の人間をただ単に見下していただけに過ぎないことでして、決して知識や教養といった部分で劣っていた訳ではなかったようです。

宗任は結局伊予に流罪となったんですが、頼義が戦後に伊予守に任じられたのは、その監視役という意味合いもあったと言われています。その後、宗任は筑前に移され、そこで亡くなりました。ちなみに、子孫は治承寿永の乱(源平の戦い)に際して平家に味方し、平家が壇ノ浦で敗れた後に山口に流罪となりまして、その血筋は山口で脈々と続いて現在に至ってます。前総理の安倍晋三さんも、安倍一族の末裔だそうです。

安倍一族に代わって陸奥の支配者となった清原一族については、いろいろあるんですけどね、後三年の戦いを書く時までのお楽しみと言うことで。

それから、錆びた刀で鋸引きのように斬首された藤原経清についてなんですが、息子は生き延びまして、のちに奥州藤原氏の祖となります。まあこれも後三年の戦いを書く時に詳しく触れますんで。

という訳で、なんだか後三年の戦いの予告編みたいな感じになってしまいましたが、そんなすぐには書かないと思うんで、気長にお待ち下さい。
以上、歴史上の戦いシリーズ第四弾、前九年の戦いでした。
おしまい。

2007/11/19

前九年の戦い・第四話

歴史上の戦いシリーズ第四弾、前九年の戦い第四話です。
第一話は戦いに至る経緯
第二話は前九年の戦いの序盤
第三話は前九年の戦いの中盤
について述べましたので、今回はその続きです。

前九年の戦い・終盤

Zen9nen4

・清原一族参戦

東北地方において、奥六郡(現在の岩手県西部)を治める安倍一族に次ぐ勢力だったのが、仙北三郡(現在の秋田県東部)を治める清原一族でした。彼らも俘囚であり、安倍一族と親しかったこともあり、安倍頼時源頼義が全面対決に至った時は、当然安倍側につくものと思われていたんですが、当主の清原光頼は中立を保ちました。

その理由は、ただ単に様子見に回ったという説と、安倍貞任が清原一族の援軍を断ったという説がありますが、本当のところは良く分かっていません。まあいずれにしても不気味な勢力であったのは確かですし、兵力不足に悩む頼義としては、何が何でも味方に引き入れたい存在でした。

頼義は息子義家を使者に立て、早くから清原一族に働きかけていたものの、なかなか色好い返事はもらえませんでしたが、康平5(1062)年春にようやく光頼の引き入れに成功。7月、光頼は弟の武則を大将に約10000の援軍を送りました。これで頼義の軍と合わせて約13000の兵力を確保しただけでなく、清原一族は安倍一族と親しかったため、防衛拠点の造りなどもある程度知っており、形勢は逆転していきます。

・終戦へ

8月17日、頼義は奥六郡を良く知る清原一族を先鋒に、まず小松柵を攻めます。衆寡敵せず安倍軍は敗れますが、連合軍は食糧不足になり、しばらくここに留まることになりました。食糧調達のため各地に兵を駆り出し、頼義のいる本陣が6000人程度になったのですが、これを知った貞任が、衣川柵から約8000人を率いて奇襲を決行。しかし頼義がある程度予測していたこともあり、安倍軍は大敗を喫して後退しました。

安倍軍は衣川柵に撤退して態勢を立て直そうとしますが、連合軍はすかさず追撃を開始。9月6日に攻撃を開始すると、衣川柵内部への潜入に成功した一隊が放火し、これで混乱した安倍軍は、結局1日も持ちこたえることができないまま、衣川柵から撤退します。

その後も次々と拠点は陥落し、貞任や藤原経清厨川柵で最後の抵抗を試みます。厨川柵は最終拠点にふさわしく防御施設が整ってまして、空堀の底に白刃が逆さにびっしり突き立てられていたり、柵に近付く敵に落とすための巨石や熱湯、さらには弩などの兵器も備えられていました。

9月16日、連合軍は攻撃を始めたものの、守りは固く苦戦を強いられます。正攻法では被害が大きくなると考えた頼義は、翌日、枯れ木や草を大量に集めさせて、空堀にうず高く積み、そこに火矢を放つ作戦に変えました。

これが功を奏しまして、火は柵の中まで燃え広がり、今はこれまでと覚悟した貞任や経清は柵の外に打って出ます。貞任は乱戦の中で討ち死にし、経清は捕らえられて頼義の前に引き出され、苦しむように錆びた刀で鋸引きのようにして斬首されました。こうして前九年の戦いが終結しました。

戦後、安倍追討の恩賞として、頼義は伊予守に、武則は鎮守府将軍に任命されました。義家は出羽守に任命されたものの、鎮守府将軍である武則の命令を受ける立場になってしまうため、それを嫌って任官を拒否。結局、頼義・義家親子が陸奥を去り、清原一族がかつての安倍一族の領地をも掌握して一大勢力となりましたが、その栄華も長くは続きません。そこらへんの話は、いずれ後三年の戦いを取り上げるつもりですので、その時に。

以上、前九年の戦いの終盤でした。
では、続きは第五話で。

2007/11/13

前九年の戦い・第三話

歴史上の戦いシリーズ第四弾、前九年の戦い第三話です。
第一話は戦いに至る経緯
第二話は前九年の戦いの序盤
について述べましたので、今回はその続きです。

前九年の戦い・中盤

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・安倍頼時死去

安倍頼時と本格的に戦うことになった源頼義ですが、早くも苦境に立たされます。その理由の1つは、藤原経清が離反して安倍軍に合流したこと。もう1つは陸奥守としての任期が切れてしまうこと。そして最も重要だったのは、朝廷から安倍追討の詔が出されたものの援軍は送られず、自らの呼び掛けで坂東の武士を召集したもののさほど集まらず、決定的に兵力が不足していたことです。

経清の離反に関しては、まあ今さらどうしようもない。陸奥守に関しては、藤原良綱が後任に選ばれたものの、「戦争の指揮なんぞ執れない」と辞退し、頼義が再任されたので問題ない。しかし、兵力不足だけは、どうにかしなければいけない問題でした。

この状況で正面衝突は不利と悟った頼義は、安倍一族の内部崩壊を狙い、天喜5(1057)年に津軽の安倍富忠を味方に引き入れることに成功します。これを知った頼時は、富忠を説得するため僅かの兵で衣川柵を出陣し、津軽の富忠の元に向かいますが、その途中で富忠軍の伏兵に襲撃され、流れ矢を受けて負傷しました。やむなく鳥海柵まで撤退しますが、結局7月にこの傷が原因で死んでしまいます。

当主が突然死んでしまった安倍軍ですが、息子の貞任は勇猛果敢な主戦派でしたし、貞任の義兄弟である経清が味方になっていたこともあり、むしろ結束は固まりました。そうとは知らない頼義は、頼時が死んだのは幸いとばかりに攻勢をかけてきます。

・黄海の戦い

11月になり、頼義は多賀城から北上を開始。旧暦の11月なので、真冬で雪が多い時期でしたが、こういう時期だからこそ敵も気を緩めている筈だ、それに頼時が死んで戦意も落ちている筈だ、という考えだったようです。ところが雪中行軍は思いのほか難儀なもので、凍傷などで離脱する兵も多く、加えて食料不足に陥り、頼義軍の方がよっぽど戦意が落ちてしまいました。

一方安倍軍は、早くから頼義の動きを察知。黄海で待ち受け、雪中行軍で疲労困憊している頼義軍に襲い掛かりました。頼義軍約2000に対し、安倍軍は約4000。頼義軍はとても戦えるような状況ではなく、安倍軍は頼時の弔い合戦という感じで戦意も高揚。戦う前に結果は分かっていたようなもんですが、頼義軍は惨敗し、頼義、義家親子はわずか6人で命からがら多賀城に逃げ帰りました。

この後、貞任は公然と朝廷に敵対する姿勢を見せ、康平2(1059)年頃から、「陸奥国府が発行する赤符による徴税には応じず、経清が発行する白符による徴税に応じろ」という布令を各地に出しました。頼義はこれを抑える力もなく、態勢を立て直すため雌伏の時を過ごすことになります。

以上、前九年の戦いの中盤でした。
では、続きは第四話で。

2007/11/05

前九年の戦い・第二話

歴史上の戦いシリーズ第四弾、前九年の戦い第二話です。
第一話は戦いに至る経緯について述べましたので、今回はその続きです。

前九年の戦い・序盤

Zen9nen2

・阿久利河事件

前回書いたように、安倍頼時源頼義に恭順したため、東北地方は一旦平穏になります。前陸奥守藤原登任の頃から陸奥国府側で重職にあった藤原経清平永衡が、頼時の娘と結婚するなど、両者の友好も図られました。

そして迎えた天喜4(1056)年は、頼義の陸奥守としての任期が終わる年でした。ここに至り頼義は、かつての登任と同じようなことを考え始めます。このまま何の手柄も挙げずに任期が終わるのは困るから、何か揉め事でも起こって、再任されると良いんだけど、って感じです。

そんな中、頼義は領内視察のため胆沢の鎮守府に入城。頼時は胆沢に出向いて金や馬を贈るなど、ひたすら恭順の姿勢を貫き、頼義が多賀城に戻る際も、自分の息子貞任を頼義に従わせていました。しかしその途中、阿久利河で野営している時に、陸奥権守藤原説貞の息子の陣が何者かに襲われ、死傷者が出るという事件が起きました。

頼義はこの犯人を貞任と断定。その理由は、かつて貞任が説貞の娘を嫁に迎えたいと申し出た時、説貞の息子が「俘囚なんぞに妹をやれるか!」と言って反対したのを、貞任が恨みに思っていたから、ということでした。

しかし、説貞の息子と貞任の間に、過去にそんな揉め事があったのかどうか、はっきりしていません。貞任は頼義たちが赴任してくる以前に嫁を貰ってるので、説貞の娘を貰うとしたら正妻という立場にはならない。となると妾ということになりますが、陸奥権守という重職にある説貞の娘を妾によこせ、なんて失礼なことはいくら何でも言いそうもない。

それやこれやで、阿久利河事件は頼義たちによるでっち上げだった、というのが有力な説でして、襲ったのは頼義配下の者だったか、下手したら襲撃事件そのものが実際には起きていなかったかもしれない、という説もあるぐらいです。

まあ、でっち上げにしろ何にしろ、頼義としては頼時と揉め事が起きればそれで良いんです。とにかく頼義は貞任を犯人と決め付け、身柄を渡すよう頼時に要求。しかし頼時はこれを受け付けず、衣川柵で軍備を整え始めます。頼義はこれを朝廷に報告、朝廷は安倍追討の詔を出し、頼義は坂東を中心に兵を集めて、安倍討伐に向かう事になりました。

・藤原経清離反

頼義と頼時が全面対決するに至り、苦しい立場になってしまったのが、藤原経清と平永衡です。自らは陸奥国府側の人間でありながら、妻は頼時の娘。要するに、妻の実家を相手に戦わなければならない。周囲からも、あいつの嫁は敵の娘だから、と疑いの目で見られてしまう。

頼義も当然疑いの目で見ていたため、2人の心底を探る意味もあり、緒戦において最前線を2人に任せます。経清と永衡は命令に従って安倍軍の前線基地である小松柵を攻めましたが、この時に問題になったのが、永衡が着用していた兜。

頼時からもらったとも言われている銀の兜で、遠目にもそれを着用しているのが永衡だと分かる。つまり、これ見よがしに銀の兜を着用して、自分がそこにいることを知らせ、安倍軍に本気で戦わせないようにした、自らも本気で戦わなかった、という疑いをかけられてしまったんです。

頼義は有無を言わさず永衡を殺し、経清には「お前の事は信用している」という態度をとります。しかし経清は心中穏やかじゃない。「俺だって頼時の娘を嫁にしてるんだから、次は俺の番だよな」と疑心暗鬼になります。そして、「この戦いは頼義が陸奥守に再任されたくて、でっち上げで始めたんだよ。それで嫁の実家を攻めなきゃいけないんだよ。そんなことにいつまでも付き合ってられるか!」という決断に至る訳です。

経清は、多賀城が安倍軍の別働隊に奇襲されそうだという偽の噂を流し、頼義がこれを信じて撤退した隙をついて、安倍軍に合流。こうして頼義と敵対することになるんですが、経清は当然頼義側の機密を知っていましたし、そもそも経清自身が武勇に優れた人だったこともあり、ここから頼義は苦戦を強いられていきます。

以上、前九年の戦いの序盤でした。
では、続きは第三話で。

2007/10/29

前九年の戦い・第一話

久しぶりの復活となります、歴史上の戦いシリーズ。
第四弾は、前九年の戦いでございます。

このシリーズ、第一弾は川中島の戦い、第二弾は大坂の陣、第三弾は箱館戦争ということで、それぞれ私の好きな歴史上の人物である、上杉謙信真田幸村土方歳三に関する戦いを取り上げてきました。しかし今回は、格別好きな人物が登場する訳ではありません。

私は基本的に武士の時代が好きでして、歴史的な興味も武士の時代が中心になるんですが、その武士という存在が台頭してきたきっかけの1つが、平安時代に起きた、前九年、後三年の戦いです。その両方をぶっつづけでやるのは疲れそうなので、まずは前九年の戦いから取り掛かろうという次第でございます。

前九年の戦いに至る経緯

延暦21(802)年、征夷大将軍坂上田村麻呂の蝦夷(えみし)征伐により、東北地方は朝廷に平定されました。蝦夷は朝廷の管轄下に置かれ、俘囚と呼ばれるようになりましたが、朝廷の完全支配下という程でもなく、一定の税を納めることによって、ある程度の自治を認めるという形でした。

朝廷は蝦夷征伐にかなり苦労したので、今後はあまり刺激せず、ゴタゴタは起こさないようにする、という方針に変えた訳です。したがって、東北地方の長という存在であった陸奥守も、田村麻呂の頃は蝦夷を監視あるいは討伐する重要な役職だったのですが、徐々に形骸化して、使えない公卿が追いやられる閑職となっていきました。

Zen9nen1_2

それから約250年後、奥六郡(現在の岩手県西部)の俘囚の長であった安倍頼良は、金山開発、製鉄、馬産、宋との貿易などによって、かなりの地位を築いていました。当時の陸奥守藤原登任は、永承5(1050)年頃から、頼良に法外な献金を要求したり、朝廷へ納める税率を引き上げるなどします。これに反発した頼良は、奥六郡と陸奥国府の境界線である衣川柵から南下し、陸奥国府の領地に進出を開始しました。

頼良の動きを知った登任は、内心快哉を叫びます。と言うのも、もし頼良が素直に登任の要求に従い、登任の陸奥守としての任期内に何も揉め事が起きなければ、自分は何の手柄も挙げることなく京都に戻ることになる。当然、中央政界に戻ったところで大した官職には就けないし、老後もどうなるかわからん。それは困る。

そこで登任は、頼良を挑発して挙兵させ、これを朝廷軍で撃破し、功名を挙げてやろう、と考えたようです。頼良に無理難題を押し付け始めたのも、そもそもこういう策が登任の中にあったからなんでしょう。

安倍軍の進軍を受け、登任はまず、俘囚が反乱を起こしたと朝廷に報告。朝廷軍の編成を懇願します。しかし先に触れたように、朝廷は東北地方に対して事なかれ主義で、登任が期待した朝廷軍など編成する気はありませんでした。だいたい、本気で討伐軍を編成するなら、登任ごとき腐れ公卿に任せず、もうちょいマトモな武官に任せるし。

仕方がないので、登任は自らの息のかかった平重成が出羽城介になるよう画策。思惑通り重成が出羽城介に任命されると、永承6(1051)年11月、登任と重成は陸奥国府多賀城を出陣し、鬼切部に布陣します。

これに対し頼良は、息子の貞任宗任に奇襲をかけさせます。旧暦11月なので現在の12月にあたりますが、東北地方は雪深い時期。春まで安倍軍は動かないだろうと油断していた登任と重成は、この奇襲になす術もなく敗退しました。

登任はほうほうの体で京都に逃げ帰り、朝廷は登任の官位を剥奪すると、永承7(1052)年3月、源頼義を後任の陸奥守に任命。頼義は息子義家らを率いて陸奥に向かい、安倍討伐の準備を進めます。しかし5月、後冷泉天皇の祖母上東門院が病気になり、その平癒祈願で大赦が発せられ、頼良の挙兵もお咎めなしということになりました。

これを受けて頼良は、頼義に恭順の意を表明。その祝宴の席で、字が違うとは言え、同じ「よりよし」という名前では畏れ多いとして、頼時と改名します。という訳で今後は頼時と表記します。こうして頼義体制のもと、ひとまず東北地方は平穏になるんですが、後世から見れば、この一連のドタバタが前九年の戦いの幕開けだった訳です。

以上が前九年の戦いに至る経緯です。
こんだけ書いといてこんなことを言うのもあれですが、この戦いは解明されてない部分が多いため、私の独断と偏見で書いてますので、事実と異なる部分も多々あると思います。地図や年代も推定の部分がいくつかありますので、あしからず。
では、続きは第二話で。

私の出資馬
現役勝ち上がり馬

  •  グレンツェント
     【牡4歳・12戦6勝】
     父:ネオユニヴァース
     母:ボシンシェ
      13011170122s
    5月20日の平安S(GⅢ)は10着。今回も58kgの斤量が影響したのか、良いところなく惨敗しました。現在は北海道の牧場にいます。
     
  •  ブライトエンブレム
     【牡5歳・10戦2勝】
     父:ネオユニヴァース
     母:ブラックエンブレム A_2012005_2
    16年5月8日の東京・ブリリアントS(OP)で7着となった後、しばらくして屈腱炎が判明したため休養しており、現在は北海道の牧場にいます。
     
  •  フェイマスエンド
     【牡6歳・24戦5勝】
     父:シルクフェイマス
     母:シルキーウィズ 11062150321
    16年12月10日のチャレンジC(GⅢ)で13着となり、その後は放牧に出てましたが、現在はトレセンに戻って調整中。7月9日の福島・七夕賞(GⅢ)か、7月23日の福島・福島テレビオープンに出走予定。
     
  •  ストロングタイタン
     【牡4歳・9戦4勝】
     父:Regal Ransom
     母:Titan Queen 13051160903
    2月19日の小倉・小倉大賞典(GⅢ)は5着。その後は放牧に出てましたが、現在はトレセンに戻って調整中。7月15日の中京11レースに出走予定。
     
  •  モルジアナ
     【牝5歳・14戦4勝】
     父:Dubawi
     母:サマーハ 12024160326s
    6月25日のレースは9着。思いのほか前からの競馬になり、直線伸びずに負けちゃいました。
     
  •  ローズウィスパー
     【牝4歳・18戦3勝】
     父:ワークフォース
     母:ローザミスティカ
      13061170326
    6月11日のマーメイドS(GⅢ)は11着。捲り気味に3コーナーから動いていったんですが、直線なかばで力尽きました。現在は滋賀県の牧場にいます。
     
  •  デジタルフラッシュ
     【牡6歳・27戦2勝】
     父:アグネスデジタル
     母:マチカネベニツバキ 11031160904500
    5月27日のレースは11着。特にこれといった見せ場もなく、後方からチラッと差を詰めただけでした。現在は福島県の牧場にいます。
     
  •  アグレアーブル
     【牝4歳・5戦2勝】
     父:マンハッタンカフェ
     母:プリティカリーナ 13014160703500
    16年7月3日のレースで2勝目を獲得しましたが、その後は脚元に不安が出て休養に入っており、現在は北海道の牧場にいます。
     
  •  オリエンタルダンス
     【牝5歳・20戦2勝】
     父:キングカメハメハ
     母:ダンスノワール 12027160326500
    4月15日のレースは3着。その後は放牧を挟んで新潟で出走予定でしたが、状態がイマイチで再調整することになりました。現在は滋賀県の牧場にいます。
     
  •  ネームユアポイズン
     【牡3歳・3戦1勝】
     父:ハーツクライ
     母:リップスポイズン
      14005170325
    5月13日のレースは4着。終いジワジワと差は詰めましたが、上位争いには加われませんでした。現在は福島県の牧場にいます。
     
  •  イストワールファム
     【牝3歳・4戦1勝】
     父:ローエングリン
     母:ヒストリックレディ
      14030160128
    5月20日のレースは4着。スローでわりかし前が残る展開だったこともあって、伸び切れませんでした。現在は福島県の牧場にいます。
     
  •  ブルーヘヴン
     【牝3歳・5戦1勝】
     父:パイロ
     母:ローズカーニバル
      Blueheaven1
    5月7日のレースはビリッケツ。初めての芝で少しは違うとこを見せてくれるかと思ったんだけどねえ。現在は茨城県の牧場にいます。
     
  •  シンシアズブレス
     【牝4歳・12戦1勝】
     父:ダイワメジャー
     母:クラウンピース
      13037160305_3
    5月28日のレースは7着。ここ最近の中ではまずまずの結果でしたが、相変わらず気の悪さが解消されませんな。7月1日の中京9レースか、7月9日の中京12レースに出走予定。
     

私の出資馬
現役未勝利馬

  •  キンナリー
     【牝3歳・2戦0勝】
     父:ディープブリランテ
     母:カラヴィンカ
     
  •  フィールザフォース
     【牡3歳・1戦0勝】
     父:ワークフォース
     母:シャンパンマリー
     
  •  ブライトクォーツ
     【牡3歳・9戦0勝】
     父:ワークフォース
     母:レースドール
     
  •  ストーミーワンダー
     【牡3歳・1戦0勝】
     父:ストーミングホーム
     母:ラッシュウインド
     
  •  アーモンドアイ
     【牝2歳・未出走】
     父:ロードカナロア
     母:フサイチパンドラ
     
  •  ブラストワンピース
     【牡2歳・未出走】
     父:ハービンジャー
     母:ツルマルワンピース
     
  •  オルボンディール
     【牝2歳・未出走】
     父:ステイゴールド
     母:サダムグランジュテ
     
  •  キープシークレット
     【牝2歳・未出走】
     父:ダイワメジャー
     母:ウーマンシークレット
     
  •  ベルフロレゾン
     【牝2歳・未出走】
     父:クロフネ
     母:ウインフロレゾン
     
  •  カポラヴォーロ
     【牡2歳・未出走】
     父:Munnings
     母:My Anguilla
     
  •  アストロローグ
     【牡2歳・未出走】
     父:シニスターミニスター
     母:フォチュネイター
     

私の出資馬
すでに引退した馬