大坂の陣・第八話
歴史上の戦いシリーズ第二弾、大坂の陣第八話、最終回です。
第一話は開戦までの経緯
第二話は大坂冬の陣の前半
第三話は大坂冬の陣の後半
第四話は冬の陣から夏の陣へ至る経緯
第五話は大坂夏の陣の序盤
第六話は大坂夏の陣の中盤
第七話は大坂夏の陣の終盤
について述べましたので、今回は簡単なまとめです。
まとめ
登場人物が多く、局地戦が多いので、何が何やら良く分からんとお怒りの諸兄もいると思いますが、要するに、豊臣が滅びて徳川の天下が定まっただけのことです。なぜそうなったかと言えば、基本的には豊臣家の内部崩壊です。
今の時代になぞらえて言えば、豊臣商事という会社があって、現場から叩き上げの秀吉社長のもと、徳川商事などの優良子会社を抱える大企業だった訳です。ところが秀吉が死に、息子の秀頼が幼少だったため、石田三成や家康ら取締役が仕切ることになりました。
両者は方針の違いから対立し、三成は家康に敗北。結果、家康の勢力が大きくなり、徳川商事は豊臣商事から独立。豊臣商事は、秀吉の愛人淀殿がビジネスの知識も無いのに社長に就任したため業績は悪化。優良顧客は徳川商事に奪われ、優秀な社員もヘッドハンティングされていきました。すっかり立場が逆転し、徳川商事が豊臣商事を子会社化しようとしますが、気位の高い淀殿はそれを認めず、両者は対立した訳です。
ところがその頃の豊臣商事は、親のコネだけで入社した大野治長のような人材しかいなかったので、急遽バイトを募集しました。その中には真田幸村など優秀な人材もいたんですが、いざという時になると使えない正社員を重用するので、なかなか業績は上がらず、社内で内輪揉めも絶えなくなっていきます。
そもそも、この当時の豊臣商事の体力で、徳川商事と真っ向勝負をするのは無理だったのに、内輪揉めが絶えなかったもんだから、豊臣商事は倒産した、という訳です。
簡単に言えば、こんだけのことです。もうちょい豊臣商事内部で一致団結していれば、また結果も違っていたかも知れませんが、いずれにしても秀吉時代のような勢いに戻すことは難しかったでしょう。素直に徳川商事の子会社になって、大人しく従属するしか、生き残る道はなかったということです。
で、話は変わって1つ1つの局地戦のレベルを考えてみると、かなりレベルの低い戦いだったと言えます。虚報に踊らされて退却したり、ほぼ無人の砦にガチンコで攻め掛かったりして、徳川方も豊臣方も、情報収集という部分でかなりお粗末なところを見せてたんでね。まあ、徳川方としては、本気で戦わんでも勝てるという気の緩みがあったんでしょう。豊臣方としては、内部の連携や戦略がグダグダだったんでしょう。
両軍の総兵力が数十万人という大規模な戦闘なので、歴史上の戦いの中ではかなり有名なんですが、上記のようにレベルは決して高くありません。やはり両者の実力に大きな開きがあったことが、要因だと思われます。
しかし、レベルはどうあれ、歴史的意義は大きい戦いです。単に徳川政権が確立したということだけでなく、徳川政権がかなり専制的な体制であることをアピールした戦いだったんでね。方広寺鐘銘事件にしても、惣構か総構かって話にしても、家康のゴリ押しが何でもまかり通ったし、周囲もそれに異を唱えることができなかったし。
実際、この後250年ほど続いた江戸幕府は、「幕府がこうと言ったらそれに逆らうな。逆らったら取り潰し」という専制体制で長続きした訳で、その体制のお披露目と言うか、開会式と言うか、それがこの大坂の陣だったと言えるでしょう。
以上、歴史上の戦いシリーズ第二弾、大坂の陣でございました。
ふぅ…、今回も長々と書いてしまった。次こそ、もっと簡単にサラッと終われる戦いを取り上げたいと思います。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


枠連8-8:2.9倍














最近のコメント